変形性股関節症患者としての体験記(その2)
先週から始まりました、わたしの体験記シリーズ。
本日はその第2回目になります。
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今にして思えば退院直後からかなり無理をしていたかもしれません。
一刻も早く普通の生活に戻りたいと思い、ジムや自宅で筋トレを続けましたが、とにかく筋力をつけることばかりに主眼を置いていたように思います。
ただ、一つ気になる点がありました。
それは、術後、脚長差がひどく感じられるようになったことです。
長さを測ってもらうと、たしかに3センチ以上の差があるようでした。
担当医師曰く、この手術では術後に多少の脚長差が生じることは否めないが、筋力をつけることでその差異感はほとんど解消されるとのことでした。
それを事前に説明してほしかった!と思いましたが、後の祭り・・・
そのときは、とにかく筋力さえつければ気にならなくなる程に解消される問題なのだと理解し、前述の通り、とにかく筋トレに励みました。
その後、この脚長差は解消されることはなく、万年腰痛の原因となりました。
歩いているときは、足をのばして正しく歩くことを意識していればそれほど不都合さを感じることはありませんでしたが、立っているときは自分では両足をしっかり地につけたつもりでも、極端に言えば右足が“浮いている”ような状態になってしまいます。
そのため、反対側の正常な左足への負担が大きくなり、同様に立っているときは常に腰痛を感じている状態で苦痛となっていました。
それでも、とにかく術前の生活に戻りたいという一進で筋トレに励み、術後1年程でランニングやほぼ全力疾走(50メートル程度)までできるようになりました。
そして、大学卒業後、東京都心の会社へ就職し、通勤地獄?の日々が始まりました。
前述の脚長差のせいで、立ちっぱなしでの通勤はやはりきつかったものの、若さゆえか何とか持ちこたえられたし、それ以外の面では生活にそれほど不自由もなく、仕事生活に没頭する日々が始まりました。
当初の仕事は企画系の業務であり、基本的には内勤であったのですが、顧客訪問を行ったり、時々現場のお手伝いで機械設備を持ち運びしたり等、精力的に動き回ってました。
また、私生活では時々テニスやスキーをしたり等、遊びまわっていましたが、自分では普通の人と同じような生活ができるはずだという思い込みがあったので、疲れがあってもあまり気にすることなく生活してました。
今にして思えば相当な無理をしていました。
若かったのでそれなりに休息を取れば回復するし、それで何とかなっていただけだったと思います。
仕事は大変でしたがすごく充実感があり、完全に仕事中心の生活でした。
結果、リハビリに費やす時間的・精神的余裕もなく、足には疲労だけが蓄積されていった期間でした。
手術をしたのが20歳の夏でしたが、その約9年後の29歳頃だったでしょうか、急に足の曲がり度合が悪化しだしたのを感じました。
それは、勤務先企業の派遣により新潟県内にある大学院へ通うことになって雪国地方で生活をしていた時のこと。
その頃は、夏はキャンパスでテニスをしたり、近所にスキー場がたくさんあったのでスノーボードに挑戦し始めるなど、相変わらず無理をした“普通の生活”を楽しんでいました。
曲がりの悪化を感じるのと同時に、それほど強くはありませんでしたが、痛みや妙な違和感も覚えるようになりました。
運動を控えるようにしましたが、症状の悪化が進行し出したのはまさにこの頃でした。
手術を受けた病院にて最低年に1度は定期検診を受けることになっていたのですが、その頃はレントゲン上も何ら変化はなく、医師の言うこともいつもと変わらずであったため、2年程診察には行っていませんでした。
症状の悪化を感じてすぐに診察を受けてみると、レントゲン上で明らかに関節の隙間(軟骨)が狭くなっていました。
医師からは、末期の状態にあると宣告され、このままでは軟骨が更に磨り減っていくのは時間の問題というようなことを言われました。
後からわかったことですが、この頃、わたしの股関節には炎症が起き、“変形”が起きていたようです。
ショックでしたが、それでもまだ現実を受入れられない自分がるようで、心のどこかで(なぜか?)安心していたように思います。
そして大学院卒業後、職場復帰して勤務地も再び東京となりました。
ちょうどその頃に結婚し、新居のある横浜市(金沢区)から東京までの遠距離通勤が始まったのですが、この遠距離通勤が重くのしかかり、疲労困憊の日々が続きました。
以前から長時間立ちっぱなしの状態には耐えられなかったのですが、状態が悪化し始めていたその当時は尚更でした。
少しの間、立っているだけで股関節痛、腰痛が重くのしかかり、悪化のスピードは速まるばかりで冬になるにつれ患部の痛みも増大していきました。
その後、通勤負担軽減のために都心近くへ引越しをするなど何とか対策を講じてきたのですが、いよいよ痛みもかなりの状態に達し、階段を上る際には手すりがないときついほど。
冬場には寝床に入って体温が低下していくとジンジンと痛みが襲ってきて眠れないほどでした。
医師へ痛みを直訴しても、当時のわたしの年齢では人工股関節にするには早すぎるし、痛み止め薬を服用しながらなんとかしてもたせるしかない。
それでも我慢できないのであれば人工股関節へ置換するしなないと言われ、途方に暮れる日々が続いていました。
(続く)
2017年10月1日
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