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変形性股関節症と個性

 

皆さんは「個性」を意識することってありますか?

 

広辞苑によると、個性とは「他人とは違う、その人にしかない性格・性質」のこと。

 

性格や性質は、先天的に備わっているものもあれば、後天的に育まれるものもあるでしょう。

 

その人が生まれ育った環境、すなわち、国、文化、家庭、学校、地域社会、はたまた(その時代の)社会的価値観といった内的・外的環境に影響を受けることは多分にあると思います。

 

では、その人に備わった資質のうち、例えば背が高い・低い、太っている・痩せているといった外見や足が速い・遅い、歌が上手い・下手といった機能的な差異は個性と言えるのでしょうか?

 

これらはどちらかと言えば、その人の外見的特徴であったり、強み・弱みとしてとらえられるものですね。

 

「障害」についてはどうでしょうか?

 

先天性にせよ後天性にせよ、障害も単にその人の(外見的・内面的)特徴の一つでしょうし、それを個性としてしまうことには異論反論あると思います。

 

何をもって個性とするかという定義にもよりますが・・・わたし自身としては、股関節に障害を抱えていることは今では自分の“個性”であると思っています。

 

先天性股関節脱臼をもってこの世に生を授かり、その後何不自由なく生活していたところで臼蓋形成不全による「変形性股関節症」と診断され、手術を受け、その後悪化の一途をたどり、そこから這い上がっていまに至る人生。

 

わたしの人生の大半おいて、この股関節障害と一緒に生きてきたし、生活スタイルに影響をあたえたのみならず、人格形成においても切っても切り離せません。

 

そんなことを考えるようになったのは、以前参加していたセルフ・ブランディングセミナーで、「個性」について議論していた際にクラスのコンサル先生に言われたひと言がきっかけでした。

 

精神的な病を患っている参加者が、人との違いを気にしていることなど自身の生活における悩みを告白していたのですが、それも自分自身の「個性」であり、そんな自分を許してあげる(受け入れてあげる)ことで自分が愛おしくなる、人生が輝き出すという話が先生からありました。

 

そして、

 

「テツ(→わたしのことです)が足に障害を抱えていて、ときどきびっこひいて歩くことも個性だよ」と。

 

そのときに強く意識付けられました。

 

これも「個性」なのだ、と。

 

股関節に障害があることはわたしの個性。

 

脚長差があって(右脚の方が短い)、補高靴をはいていることも個性。

 

股関節障害を患い、それに悩み苦しんだり、葛藤しながらいまの自分が形成されてきました。

 

だから、自分の人生体験、人間形成には「股関節」が多分に影響しているのです。

 

だからこそ、切っても切り離せない。

 

でも、それはそういう自分受け入れることができるようになった「いま」だからこそ言えること。

 

一時は劣等感だったかもしれない。

 

一時期、歩行時には杖を使っていましたが、どこか恥ずかしいと思う自分がいました。

 

先天性の股関節脱臼が起因であり、臼蓋形成不全になってしまったことは生まれ持った天命でもあるので受け入れるしかないのですが、それでも「なぜ自分が?」という思いがどこかに残っていたし、他者(健常者)を羨望することすらありました。

 

そうそう、こんなこともありました。

 

股関節の症状が悪化し始めた頃でしたが、旅行くらいなんとかなるだろうと思い、妻の親族一同と一緒に札幌へ旅行をしました。

 

ですが、杖を使っていたものの、移動で少し長い距離を歩くと痛さと疲労ですぐにへばってました。

 

「こんな距離すらまともに歩けないのか・・・」

 

そのとき、悔しさと情けなさのような複雑な思いが絡み合い、歩いているときにボロボロと涙が出てきたことを覚えています。

 

現実を受け入れることができなかったのです。

 

素直じゃなかったんです・・・

 

そこが、良くなるまでに時間がかかった要因だったと思います(苦笑)

 

でも、受け入れるようになると状況が変わってきました。

 

生活を困難にし、受け入れ難い対象であった股関節障害、いまやそういう自分と同じ苦しみをもつ方々を支援する側の立場に立っているわけですから、本当に面白いものです。

 

不思議な縁、引力、いや、量子力学の力を感じざるを得ません。

 

 

『不平家とは、最後まで自分の人生を受け入れられなかった人』(作家・中野孝次)

 

不満や劣等感を抱くのは、誰か、何か他の状態と比較しているからに過ぎません。

 

これが自分の個性なんだと思うと、気持ちがとても楽になります。

 

前述の通り、障害を個性として特徴づけることには賛否両論あるだろうと思います。

 

ですが、わたしとしては、外見だろうが性格だろうが、人と異なるところは全て個性なんだと思うようになりました。

 

自分に対してだけでなく、他者に対しても。

 

そもそもこの世に自分と同じ人はひとりとしていないわけで、存在自体が個性的であり、この世に生を授かったこと自体が奇跡でもあります。

 

そんな当たり前のことを思うと、人と同じであろうとすること、同じでなければならないという呪縛から逃れられるし、自由なんだ!という感覚が沸き起こります。

 

子供⇒自由

 

大人⇒不自由(しがらみ、責任、制約等々)

 

いや、そうじゃない!

 

個性を意識できる大人になればなるほど自由になるんだということがようやくわかってきました。

 

それも全ては無条件に自分の存在を受け入れることから始まる。

 

だからこそ、股関節の障害も自分にとっては個性の一つなのです。

 

 

2019年5月12日

 

 

 

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