変形性股関節症と無気力(その1)「不治の病」
先週の日曜日(10月7日)に松本深圧院恒例、秋の御食事会(通称オフ会)を開催しました。
会場は、松本深圧院のすぐ近くにある日本唯一の本格的ブルガリア料理店「ブルガリアンダイニング トロヤン」
ここで美味しい料理をいただきながら、会の趣旨である患者さん同士での交流は今年も盛況、また今年はゲストとしてお招きした整形外科医・坂井学先生(和歌山市の整形外科クリニック・坂井医院)からのスピーチもあり、ということでとても濃い内容の3時間でした。
普段は患者さんたちと接することのないわたしですが、この機会に皆さまの前でご挨拶させていただいたり、お話することができるのはとても楽しみです。
今年はご参加いただいた方より(わたしのブログを読んで)「勇気をいただいています!」とお声がけしていただいたのですが、本当に嬉しい限りでした。
こんな稚拙な内容の勝手気ままなブログでも続けてきてよかった!と心から思いましたし、こちらこそ勇気をいただいた気持ちになりました。
これからもどうぞよろしくお願い致します。
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突然ですが、皆さんは「無気力」という言葉をきくと、どんなイメージを抱きますか?
なんだかとても後ろ向きだし、怠惰なイメージを抱く方がほとんどではないかと思います。
無気力とは、文字通り、何かをする気力が無い、つまり、意欲を失ってエネルギーが消失したような状態のことをいいいます。
少なからず(一時的であれ)「やる気がでない」とか「気力がない」という状態になったことがある人はいると思いますが、他人であれ自分であれ、無気力な状態をみれば否定的な感情が生じるのが普通です。
怠け者的なイメージを連想させるこの無気力ですが、単に怠け者だから陥ってしまうとわけではありません。
※ここでは疲労や様々な事情によって陥る“一時的な”無気力状態のことは含みません。
“無気力なのにはワケがある”
のです。
(出所『無気力なのにはワケがある』大芦治著/NHK出版新書)
「自分の力ではどうすることもできない」ことは“コントロール不能性”と呼ばれ、このコントロール不能性を学習して意欲を失ってしまうと無気力に陥ってしまいます。
動物やヒトへの実験を通じて、この現象を“無気力を学習してしまった状態”という意味で「学習性無力感(learned helplessness)」と名づけたのが、著名なアメリカ人心理学者マーティン・セリグマンでした。
コントロール不能な状態に在り続けると無気力になる。
自分には無理だと思うと無気力になる。
こういう状態を経験していくうちに「無気力が学習」されてしまうのです。
一見すると当たり前のことのように思えるかもしれませんが、無気力は学習によって培われてしまうって怖いことだと思いませんか?
うつ病にも関連してきます。
無気力な状態にある人や自分を、単に怠惰であると責めることはできず、また激励だけでそこから脱することができるようなものではありません。
また、物理的にコントロール不能状態を経験するだけでなく、心理的に不能状態に追い込まれることによっても無気力になってしまいます。
例えば、人からずっと無能呼ばわりされていると、本当に自分は無能だと思い込み、いずれ無気力状態に陥ってしまうこともあるのです。
とても怖いことですよね。
変形性股関節症患者にとって、この病気・障害は(昔は)「不治の病」と言われていました。
よって、
「この病気(障害)は一生治りません」
という言葉を医師より投げかけられた方は少なくありません。
こんな言葉を突きつけられたら、きっとコントロール不能感が強くなるし、無気力状態を誘発させられるリスクだってあります。
わたしもそのひとりでした。
ずっと、自分はもう動き回れない、走れない、運動もできない(やってはいけない)という思い込みにとらわれていました。
深圧によって状態が良くなっても、無理をしたらまた悪化するのではないかという不安を100%拭うことはできなかったですし、何よりも負担をかけてはいけないという思い込みは強烈でした。
無気力というか、無能感にとらわれていたのです。
この続きとして、次回にもう一つの無気力体験である「痛み」について書いてみようと思います。
2018年10月14日
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