無名有力
みなさん元気、ぼく非常に元気。
どうも、九州帰りのばってん松本です。
私は風邪をひかず、インフルにも感染しないことになっていますが、世間ではインフルが暴れまくっているようです。
意外とマスクは良くないという本を最近読みました。
どうしてもマスクをかけると呼吸がつらくなるので口呼吸をしてしまうからだそうです。
鼻呼吸は天然のマスクになるようですよ。
今日の記事は、恥ずかしながら私の秘密を書いてみたいと思います。
※本題に入る前に、現在私が担当している患者さんの内訳を簡単に紹介します。
🍓最近、Facebookに『私は子供の頃から人の目を見ることができません。』と書いたら、多くのコメントがありました。
みなさん、意外と気づいていないようでした。
心の奥には『人が怖い』という気持ちがあるように感じています。
(こんな人格ですが、自分では意外と好きな人格です)
旧ブログにも何回か書いていたことですが、私には『有名になりたいとか、出世したい』という欲が全くありません。
これには『人の目が見れない』という人格が影響しているように感じています。
旧ブログでは『引きこもり系』という言葉でも表現していました。
とにかく目立たなく、人知れず地味に深圧を行っていたいのが本心です。
ところがどっこい、実際は深圧を広めるための店の経営がありますので、引きこもっているわけにはいかず、ストレスがないふりをしつつ楽しそうに元気にふるまっている様に思います。
別に何か隠し事をしているから目を合わせないわけではありませんので、勘違いしないでくださいね。
最近、ネットを見ていたら、私を励ましてくれるというか、これだ❗️というような言葉を見つけました。
『有名無力、無名有力』
これは中国の古いことわざアルヨ。
どんな意味かを某有名総理を裏から支えて日本の発展に大きく貢献した方が次のように説明していました。↓
「若いときには誰もがひとかどの人物になりたい、立派な会社を作り上げたいと一所懸命努力をします。
だんだん頭角を現し、人々の評価もいただけるようになって、名が上がって有名になってきます。
会社の規模も大きくなってきます。
そうなるとちょっとした名士になり、講演を頼まれたり、新聞に原稿を書いたり、テレビに出演したりして、だんだん忙しくなってきます。
そしていつのまにか自分を掘り下げる時間すらなくなって、有名ではあるけれども無力な人間になり下がることが多いものです。
しかし、世の中には、新聞、雑誌に名前が載るわけではない、テレビのスポットライトがあたるわけでもないけれども、頭が下がる生き方をしている方がいらっしゃる。
無名だけれども有力な生き方をしていらっしゃる。
私は時間がなくなって自分を失ってしまうよりも、無名のままでいい、自分を高め、磨く時間を持てる者でありたいのです。」
私はここまで考えていたわけではないし、ビジネス的には適度に有名になる必要があります。
しかし、この言葉にはピンと来るものがありました。
私はホームページ上では予約を取らず出来る限り隠れようとしていますし、自分が作った会社の社長にもなっていません。
また、自己紹介では『総院長』という言葉を使った記憶もありません。
今年からは出張を減らしました。
その分、自由な時間もできてきました。
この時間を生かして新しい本を書き始めました。
(わかさムックを含めると4冊目になります)
『変形性股関節症の真実』なんて題が良いかなと思っています。
(書き上がったら出版社に提案するのであって、出版は決まっていません。)
これまた有名になりたいわけではなく、多くの方に変形性股関節症の真実を知ってほしいという気持ちで書きます。
もちろん、ちょこっと深圧のコマーシャルの事も考えています。
私自身は今後も肩書きや有名になることには全く興味なく生きていくと思います。
私が苦手なことは、他のスタッフがカバーしてくれます。
優秀なスタッフに恵まれています。
2022年には銀座に総合股関節センターを作りますが、これも皆さんに安心を与えたいだけで、私は可能な限り柱の後ろに隠れて目立たなくしていると思います。
はいっ、ひょっこりはん❗️ みたいに。
そんな松本ですが、スタッフと共に頑張りますので、皆さんの応援をよろしくお願いします。
新しい本に書いてほしいことがあったらどしどしコメントをお願いします。
無名でいい、有力でありたい。
🐸 変形性股関節症を怖がらないでね!🐸
いつもご愛読ありがとうございます😘
2022年、銀座に何かが起こる
福岡でお世話になっている、栗林です。
有名になりたい欲が無い、目立たず深圧だけをやっていたい
治療を受けていると、先生のこの言葉の真実味を感じられます。深圧も確かなスキンシップですから、その考えが体を通して伝わるのかも知れません。初めて診て頂いた時、(2度と痛みが出ない様にしたい)、と先生が小さく呟いたのを覚えています。いくつかの病院で、(もう治らない)と言われ続けた私にとって、大きく救われた瞬間でした。
患者にとっては、まずこの出会いが財産だと思います